ボンざわーるどさんは、安達健太郎さんと『カナリア』というお笑いコンビを組み、
2010年にはM-1グランプリのファイナリストに選ばれた実力派芸人。
その後、2018年にカナリアを解散し、東京で3年間ピン芸人として活動していました。
現在は大阪に拠点を移し、2020年12月1日から吉本新喜劇の舞台で活躍しています。
今回は、ボンざわーるどさんのご実家、プロフィール、芸歴について調べてみました。
「ボンざわーるど」の実家は超有名な飲食店『ボストン』
ボンざわーるどさんの実家は、洋食屋、ハンバーグ専門店、ヨーグルトケーキ専門店など、
大阪市内に10店舗展開する『ボストン』で、男3人兄弟の末っ子として生まれました。
ネットで販売している「大阪ヨーグルトケーキ」は有名で大人気になっています。
「ボンざわーるど」がお笑いを目指したきっかけ
もともと警察官になりたくて、高校3年生の秋に公務員試験を受けたが不合格。
その後、ネットの姓名判断を調べたら、コメディアンが向いている職業となっていました。
考えてみたら、小学校、中学校、高校生の時に、よく人前で漫才をやっていて、
高校の文化祭の時に教頭先生から、吉本に行けと言われたことを思い出し、
それが後押しとなって、お笑いの道に進むことを決意したそうです。
ボンざわーるどの『ババリア』時代
ボンざわーるどさんは、大阪NSC211期生で、同期の三浪昇(みなみのぼる)さんと、
1998年~2003年まで『ババリア』というコンビを組んでいました。
「クイズ!伸助くん」のレギュラー、「オールザッツ漫才」などに出演して順風満帆でした。
しかし、ボンざわーるどさんは「東京に行って一旗揚げたい」という思いが強く、
相方の三浪昇さんに、東京に行きたいと打ち明けたが断られ、それがきっけかで解散へ。
ボンざわーるどの『カナリア』時代
ババリアを解散し、同時期に「シュガーライフ」というコンビを解散した、
安達健太郎(あだちけんたろう)さんと意気投合し、
『カナリア』というコンビを組んで東京へ。
2010年M-1グランプリのファイナリストへ
2003年からM-1グランプリに出場し、2004年~2009年まで連続で準決勝へ進出。
そして、遂に2010年にファイナリストまで昇り詰めました。
結果は第9位だったが、M-1のファイナルまでいけて大満足だったそうです。
M-1の決勝に残るまでは大変だったが、決勝が決まった日から当日までの2週間が、
今までで一番幸せな時間を過ごしたとのこと。
回りからめちゃくちゃちやほやされ、優勝したら1000万円、その後売れていくことを想像し、
その2週間は、夢が広がりめちゃめちゃ幸せだったそうです。
2018年に『カナリア』は解散へ
M-1のファイナリストになり、東京で仕事も増えたが、それもピークは1年で終了。
東京はお笑い芸人の競争がすごく、2年目からは2011年の東日本大震災の影響もあり、
仕事が激減してしましました。
引き続き、M-1にも出場していたが、2017年に2回戦で脱落。
M-1のファイナリストになった芸人が、2回戦で落ちたのは「変ホ長調」とカナリアだけ。
ボンざわーるどさんは、めちゃめちゃ悔しくて、それが解散のきっかけになったとのことです。
相方の安達さんから、ラストイヤーだけM-1に出ようと言われたが、
スゴイ若手がどんどん出てきていて、まったく勝てる気がしないのと、
早く解散して自由になりたくなり、2018年にカナリアは解散しました。
『ボンざわーるど』としてピン芸人へ
カナリアを解散後、ボンざわーるどさんは、東京で3年間、ピン芸人として活動。
よしもと関連の舞台には出れなかったため、他の事務所主催のライブに出ていました。
しかし、自分では面白いネタだと思ってやっていたがスベリまくり。
独特なボケのため、ちゃんとしたツッコミがないとわかりずらく、
お笑いとして成立しないことに改めて感じたそうです。
2020年12月1日から吉本新喜劇の舞台へ
東京ではMXテレビで新喜劇が放送していて、ボンざわーるどさんはよく見ていました。
新喜劇で、1人のボケに対して、みんなでツッコミを入れるシーンを見て、
このツッコミだったら、自分のボケを活かせると思い、
大阪に戻り吉本新喜劇に入ること決意したのです。
ボンざわーるどさんは結婚しており、2020年3月27日に男の子が生まれたばかりでした。
それにもかかわらず、奥様は東京から大阪に引っ越してもいいと言ってくれたそうです。