仁支川峰子と平子が「マツコ&有吉」のために那須高原へ!若い頃、芸歴、現在など調査!

女優
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仁支川峰子さんが『マツコ&有吉 かりそめ天国』にアルコ&ピース平子さんと出演。マツコ・デラックスさんと有吉弘行さんを、愛する那須高原に連れていくためにロケハン2人旅をしています。
2人は同じ番組で京都旅行に一緒に行って、いい雰囲気になったが今回はイチャイチャするのか?
仁支川峰子さんは、演歌歌手だけでなく、女優として映画、舞台でも大活躍している、日本を代表するエンターティナーですが、これまで多くの苦難に遭遇し、その度に強い精神力で克服してきました。
今回は、仁支川峰子さんの若い頃、芸歴、苦難、現在について調べてみました。

引用元:マツコ&有吉 かりそめ天国【テレビ朝日公式】Twitterより引用
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仁支川峰子wiki風プロフィール

仁支川さんは、1958年5月23日に福岡県田川郡赤村で生まれました。
年齢は64歳です(2022年8月時点)。

上京して高校は都立代々木高校に通っていましたが、歌手に専念するために中退しました。

芸能界デビューの時の目標は、ご両親に家を建ててあげることだったそうです。

仁支川峰子wiki風プロフィール

本名:福田 峰子(ふくだ みねこ)
旧芸名:西川 峰子(にしかわ みねこ)
生年月日:1958年5月23日
年齢:64歳(2022年8月時点)
出身地:福岡県田川郡赤村
血液型:A型
特技:料理
趣味:釣り

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仁支川峰子は16歳で歌手デビューしてすぐに大ブレイク

1973年に『第3回全日本歌謡コンテスト』で断トツの歌唱力を披露し見事に優勝しました。

それがきっかけとなり、歌手として芸能界入りを果たします。

仁支川峰子は歌謡祭の新人賞を総なめ

1974年7月25日に「やまびこ演歌」というキャッチフレーズでビクターから歌手デビューを果たします。

デビュー曲の『あなたにあげる』が、いきなりチャート1位になるなど、売上枚数は驚異の55.6万枚の大ヒットになり、一躍人気歌手の仲間入りします。

仁支川さんはこの曲で『第2回FNS歌謡祭最優秀新人賞』『第5回日本歌謡大賞放送音楽新人賞』『第16回日本レコード大賞新人賞』など多くの賞を受賞し、その後もヒット曲を連発していきます。

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仁支川峰子はもちろん『NHK紅白歌合戦』にも出演

仁支川さんはデビューした翌年1975年(第26回)~1978年(第29回)まで、4年連続で年末恒例の国民的歌番組『NHK紅白歌合戦』に出場しています。

実は、デビューした年の1974年も出場することが確実視されていたが、「あなたにあげる」の歌詞がNHK的にはきわどかったらしく、出場できなかったそうです。

そして、デビュー4年目の19歳の時に、夢だったご両親に家を建てる夢が叶いました。

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仁支川峰子は『笑っていいとも!』のレギュラー

仁支川さんは、国民的バラエティ番組『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ系)に、1982年10月6日~1983年3月30日まで、水曜日のレギュラーメンバーとして出演していました。

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仁支川峰子は映画『吉原炎上』で大女優の仲間入り

仁支川さんは、1977年『人間の証明』、1983年『陽暉楼』に映画出演しています。

そして1987年『吉原炎上』に小花役で出演し、仁支川さんが演じたシーンが多くの視聴者に強いインパクトを与えて話題になり、大女優の仲間入りを果たしました。

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仁支川峰子の写真集『PrivateⅡ』が爆売れ

仁支川さんは、1993年に写真集『PRIVATE』を発売しました。

そして1997年にも『PrivateⅡ』を発売し、5万部を超える驚異の売上を記録しました。

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西川峰子から、仁支川峰子へ改名

仁支川さんは、2009年12月24日放送『くちこみっ!大捜索2!!本当に凄い(秘)占い師テレビ解禁スペシャル!!』(フジテレビ系)の番組内で、「西川峰子」から「仁支川峰子」へ改名しました。

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仁支川峰子は多くの試練を超えた、強い精神力の持ち主

仁支川さんは、何度も苦難を経験していますが、その都度立ち向かって克服していて、常人ではありえない精神力の持ち主です。

これまで苦難に見舞われも「なぜ、自分ばかりがこんな目に」と悲嘆にくれたことは一度もないと語っています。

声帯を痛めてしまう

デビュー前の15歳から歌のレッスンをしてきたため、4年連続でNHK紅白歌合戦に出演した後くらいから、思うように声がでなくなり苦労されています。

それをきっかけに、映画やドラマ、バラエティー番組にも挑戦し、今でもその分野で活躍しています。

交通事故に事故に遭う

仁支川さんが32歳の時にマネージャーが運転する車で、3回も横転した大事故に遭うが、頸椎捻挫と頭部打撲で済んだそうです。

警察の人から、生きていること奇跡といわれたそうです。

別荘が豪雨で流されてしまう

1998年に、那須高原に新築で建てた別荘が台風4号の豪雨で流されてしまったが、運がよく誰もその別荘にいなかったそうです。

甲状腺乳頭がんになる

仁支川さんは甲状腺乳頭がんになってしまい、手術を受けた時に麻酔が効き過ぎて息ができなくなるという、ありえない医療ミスに遭ってしまいます。

その時、苦しみながらも心の中で、まだ死ぬ時期ではない、まだ違う、早い、と叫び続けて、
なんと3日に10回の呼吸困難に陥ったが、まだ生きたいという強い精神力で、奇跡的に息を吹き返したそうです。

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まとめ

いかがだったでしょうか?
仁支川峰子さんが今大活躍している裏には、大変多くの苦労があったようです。
そんな苦労をものともせず生きる姿勢は、誰もが見習わなければいけませんね。
最後までご覧いただきありがとうございました。

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