広瀬香美がカラオケバトルで初MC!曲が大ヒットした理由、大沢たかおとの結婚について調査!

歌手・ミュージシャン
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「ロマンスの神様」が大ヒットした冬の女王・広瀬香美『THEカラオケ★バトル』でテレビ初のMCに挑戦しました。
今年でデビュー30周年を迎えても、常に新しいことにチャレンジしていますね。
自身の公式YouTubeチャンネルも大人気で、登録者数が43万人(2022年11月時点)も超え、まさに″ぜっこうちょ~う♪″です。
そんな、広瀬香美さんのプロフィール、生い立ち、学歴、代表曲など調べてみました。

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広瀬香美のプロフィール 年齢、出身地、学歴など

広瀬香美さんは、1966年4月12日に和歌山県那智勝浦町で生まれ、6歳まで大阪府門真市で、それ以降は福岡県筑紫野市で育ち、年齢は56歳です(2022年11月時点)。
父親は建築関係の仕事をしていました。

家族構成は、父親、母親、広瀬さん(1人っ子)の3人家族です。

母親は広瀬さんに手に職を付けてほしいと考え、3歳の頃から親の方針でクラシック音楽の英才教育を受け、4歳からピアノ、5歳から和声楽などクラシック音楽の作曲法を習わせました。
なんと、6歳の頃には作曲もスタートしていたそうです。

広瀬香美の小学校

広瀬香美さんの出身小学校は、地元福岡県の『筑紫野市立吉木小学校』です。

広瀬香美の中学校、高校

広瀬香美さんの出身中学校、高校は、中高一貫の私立の女子校『福岡女学院(音楽科)』です。

中学・高校生の頃、通学中によく作曲をしていて、大ヒットソング「ロマンスの神様」のサビ以外のところは西鉄井尻駅前バス停、「愛があれば大丈夫」のサビは井尻六ツ角交差点の歩道橋の上で考えられたそうです。

さらに、東京の音楽大学に進学するために、2週間に1度は飛行機で東京へ音楽のレッスンに通っていました。

広瀬香美の大学

広瀬香美さんは、小中高での血のにじむような努力が実り『国立音楽大学 音楽作曲科』へ作曲家になることを目指して入学しました。

国立音楽大学 作曲科は、日本を代表する音楽大学である、東京芸術大学、桐朋学園大学と肩を並べるくらいレベルが高い大学です。

広瀬香美はアメリカでポップスに目覚めた

大学に入学しましたが、成績があまり良くなく、講師から作曲家になることは無理といわれてしまい、小中高で勉強し養ってきた自身の音楽理論を否定されてしまいました。

そんな状況だったので、気分転換をかねてロサンゼルスへ高校時代の友人に会いに行き、そこで「マイケル・ジャクソン」「マドンナ」のライブを観て感動し、ポップ・ミュージックに目覚め、人生の大きな転換期となりました。

アメリカから帰国後、当時大学1年生だった広瀬さんは、親に大学を卒業することを条件で納得してもらい、ポップ・ミュージックを学ぶためにロサンゼルスへ留学し、日本とアメリカを行き来する学生生活を送ります。

そして、友人のつながりでマイケル・ジャクソンのヴォイストレーナーである「セス・リッグス」のオーディションを受けて、東洋人初となる合格者となりました。
最初セス・リッグスに、作曲やプロデュースの勉強をしたいと伝えたが、ポップスの作曲をしたいならボーカルトレーニングも受けた方がいいと言われ、約3年間彼の元で勉強します。

広瀬香美プロフィール

名前:広瀬 香美(ひろせ こうみ)
本名:米光 麻美(よねみつ あさみ/旧姓)
生年月日:1966年4月12日
年齢:56歳(2022年11月時点)
出身地:福岡県筑紫野市
血液型:O型

引用元:広瀬香美さん公式インスタグラムより引用

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広瀬香美は『冬の女王』デビューから大ブレイクまで

広瀬香美さんはアメリカから帰国後、多くのレコード会社にデモテープを送り、ビクター音楽産業(現在・ビクターエンタテインメント)のプロデューサーである田村充義さんの目に留まり、同社からシンガソングライターとしてデビューが決まりました。

広瀬香美の代表曲『ロマンスの神様』

1992年7月にアルバム「Bingo!」でデビューし、同年12月に「愛があれば大丈夫」で1枚目のシングルをリリース、2枚目のシングル「二人のBirthday」をリリースしましたが、オリコンチャート圏外であったため、次の新曲リリースに関してレコード会社は乗る気ではありませんでした。

そこで考えられたのが、スキー用品店「アルペン」のタイアップ企画で、アルペンが制作費用を半分持ち、制作した曲はアルペンのCMソングにすることになり、再度広瀬さんを売り出します。

そして1993年、アルペンのCMソングになった3枚目のシングル「ロマンスの神様」は大ブレイクします。
累計174.9万枚を売り上げ、オリコンランキングで1994年1月度月間1位、1994年2月度月間4位、1994年度上半期1位、1994年度年間2位、オリコン歴代シングルランキング47位という、とてつもない記録を打ち立てました。

その後もアルペンのCMソングをリリースし「幸せをつかみたい」「ゲレンデがとけるほど恋したい」「promise」など多くのヒット曲をリリースし、冬にヒットする曲が多いことから『冬の女王』と呼ばれるようになります。

引用元:広瀬香美さん公式インスタグラムより引用

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広瀬香美は『大沢たかお』との結婚、そして離婚

1999年に広瀬香美さんは、人気俳優の大沢たかおさんと結婚し、当時大変話題になりました。
広瀬さんは33歳、大沢さんは31歳の姐さん女房でした。

2人の馴れ初めは、1995年に公開された映画『ゲレンデがとけるほど恋したい』に大沢さんが主演、広瀬さんが主題歌を担当した縁で知り合い、大沢さんの方からアプローチして交際に発展したそうです。
大沢さんは、広瀬さんの明るくて前向きなところに惹かれた語り、逆に広瀬さんは大沢さんの根暗なところに惹かれたと、広瀬さんに代わって発言していました。

そして、結婚して約7年後の2006年11月28日に離婚を発表しました。
2人は離婚の理由について多くは語っていませんが、結婚してから大沢さんは仕事が忙しくなったのと、広瀬さんがロサンゼルスに拠点を置いていたため、徐々に2人の距離が離れていったのが原因だったといわれています

その後、広瀬さんは2008年10月12日に、ロサンゼルス在住で1つ年上の一般企業に勤めているアメリカ人と再婚しました。

引用元:広瀬香美さん公式インスタグラムより引用

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まとめ

今回は広瀬香美さんについて色々と調べてみました。
やはり幼少期から音楽の基礎を学び、長い間ストイックに音楽と向き合っているから、とても素晴らしい曲が作れるのですね。
これからも、様々なメディアで広瀬香美の楽曲、そして歌声を聞けることを期待したいと思います。
最後までご覧いただきありがとうございました。

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