阪口慶三監督(大垣日大)は若い頃は鬼?東邦時代の都市伝説、孫や甲子園の成績、年齢など調査!

スポーツ
スポンサーリンク

2023年春のセンバツに名将・阪口慶三監督率いる大垣日大高校の出場が決まりました。
そしてチームの主軸を務める、孫の高橋慎選手と一緒に出場することが注目されています。

若い頃の東邦高校監督時代は「鬼の阪口」「阪口鬼三」といわれ、阪口慶三監督にまつわる都市伝説もあると噂されています。

そこで、阪口慶三監督の経歴、甲子園での成績、若い頃の監督時代など、色々と調べてみました。

スポンサーリンク

阪口慶三 プロフィール 出身地、年齢、高校、大学

名前:阪口 慶三(さかぐち けいぞう)
生年月日:1944年5月4日
年齢:78歳(2023年2月時点)
出身地:愛知県
ポジション:内野手
選手歴:東邦高校、愛知大学

阪口慶三監督の出身高校は、自身が野球の強豪に育て上げた「東邦高校」です。

高校時代は投手とファーストを守っています。

1961年春のセンバツ甲子園への出場を果たし、ベンチ入りをしています。

阪口慶三監督は東邦高校を卒業後「愛知大学」へ進学します。

大学時代はファーストを守り、中軸打者として活躍しました。

引用元:スポーツ報知公式Twitterより引用
スポンサーリンク

阪口慶三の監督経歴

阪口慶三の東邦高校監督時代

阪口慶三監督は大学卒業後、1967年に母校である東邦高校の社会科教諭となり、野球部の監督に就任しました。

もともとは銀行に就職しようと考えていたが、母校から野球部を手伝って欲しいとお願いされたのが、監督になられたきっかけだそうです。

1989年春のセンバツ甲子園で、元木大介さん、種田仁さんが活躍していた上宮高校と決勝で対戦し、延長10回逆転サヨナラ勝ちという劇的な勝利で、自身初の甲子園優勝を果たしました。

そして、2004年7月11月に定年退職という形で、東邦高校を勇退することを発表しました。

阪口慶三の大垣日大高校監督時代

阪口慶三監督は東邦高校監督を勇退後、2004年8月30日に2005年4月から正式に大垣日大高校監督に就任することを発表しました。

2007年春のセンバツ甲子園で決勝まで勝ち上がりましたが、常葉菊川高校に0対3で惜敗し準優勝になっています。

また、2009年秋に全国各地区の強豪校だけが出場できる明治神宮大会に初出場し、見事に初優勝を飾っています。

阪口慶三の甲子園での成績

阪口慶三監督の甲子園へ春夏通算33回出場し、優勝1回準優勝3回という輝かしい成績を残しています。

高校別の成績は以下のとおりです。

『東邦高校時代』
春夏通算24回 甲子園出場 
春…出場13回、優勝1回、準優勝1回 / 夏…出場11回、準優勝1回

『大垣日大高校時代』
春夏通算9回 甲子園出場 
春…出場9回
準優勝1回 / 夏…出場5回準優勝1回

スポンサーリンク

阪口慶三監督の若い頃は鬼?

阪口慶三監督は東邦高校時代「鬼の阪口」「阪口鬼三」といわれていました。

就任した当時の愛知県は中京高校が強豪校で、中京高校を倒すため鬼監督になり、選手をスパルタ指導で鍛え上げ、東邦高校を強豪校に育て上げたそうです。

スポンサーリンク

阪口慶三監督の都市伝説とは?

阪口慶三監督のことをネットで検索すると「都市伝説」というキーワードが出てきます。

東邦高校監督時代に1988年夏の甲子園で決勝まで勝ち上がりましたが、宇和島東高校に0対6で完敗してしまいました。

その後、阪口監督はなぜ負けたのかを探るために決勝のビデオを見たそうです。

すると、宇和島東高校の上甲正典監督をはじめ、チーム全員が笑顔でのびのびとプレーしていることに気付きました。

その映像を見た阪口監督は、今までのような鬼に形相でチームを指揮していると、選手が委縮してしてしまうと考え、試合中に笑顔を見せるように努力するようになり、練習中も手のひらに「笑」という文字を書いたそうです。

そして先述のとおり、翌年の春のセンバツ甲子園で劇的な優勝をしたのです。

本当なのかわかりませんが、この阪口監督の話が広まり、ちまたで都市伝説だといわれているのかもしれません。

スポンサーリンク

阪口慶三監督の孫・高橋慎と一緒に甲子園出場

阪口慶三監督の孫にあたる高橋慎選手が、大垣日大高校のクリーンアップとして活躍しています。

2022年春のセンバツに、祖父と孫そろっての甲子園出場しました。

甲子園出場が決まった後の取材で、阪口監督と孫の高橋慎選手は以下のように、とても心が温まるような話されています。

「基本的に祖父とは思っていない。あくまで監督と選手です」。そう話す高橋選手だが、寮内の監督部屋をのぞいて、「じいちゃん、体疲れとらん? えらく(きつく)ない?」などと、体調を気遣ってくれるという。

1967年に母校の東邦で監督となり、69年に夏の甲子園に初めて出場してから50年以上が経つ。以前は猛練習で知られ、「鬼」と呼ばれた阪口監督だが、「孫と一緒に甲子園に行けるのは最高の幸せ」と目を細める。

引用元:2022年3月16日 朝日新聞デジタルより引用
引用元:スポーツ報知 プロ野球取材班 公式Twitterより引用
スポンサーリンク

阪口慶三監督のまとめ

阪口慶三監督の経歴、甲子園での成績、若い頃の監督時代など、色々と調べてみました。

1967年から監督をされていて、今でも甲子園に出場できるチームに育てられている阪口慶三監督は、まさに名将という言葉がピッタリですね。

これからも、阪口慶三監督の活躍に注目していきたいと思います。

スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました