石岡諒哉監督(常葉大菊川)の指導方法や経歴は?年齢や結婚した嫁と子供、甲子園の成績を調査

スポーツ
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常葉大菊川の石岡諒哉(りょうや)監督がついにチームを甲子園に導きました。

石岡諒哉監督は2007年のセンバツで優勝したV捕手で、監督でも甲子園制覇を目指しています。

そんな石岡諒哉監督ですが、社会人時代は大変苦労され、栄光と挫折を経験されていました。

今回は、石岡諒哉監督のプロフィールや経歴、指導方法など、色々と調べてみました。

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石岡諒哉監督 プロフィール 出身地、年齢

名前:石岡 諒哉(いしおか りょうや)
生年月日:1989年5月3日
年齢:33歳(2023年2月時点)
出身地:静岡県浜松市
身長:175cm
体重:80kg
血液型:O型
投打・右投・右打

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石岡諒哉監督の小学校と中学校時代

石岡諒哉(いしおかりょうや)監督の出身小学校は、静岡県浜松市にある有玉小学校です。

小学校1年生から「浜松ジャガーズ」で野球を始めました。

出身中学校は静岡県浜松市にある積志中学校「浜松リトルシニア」でプレーしていました。

「リトルシニア全国選抜野球大会」に出場し3回戦まで進出しています。

引用元:スポーツ報知公式Twitterより引用
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石岡諒哉監督の高校時代に甲子園優勝

石岡諒哉監督は中学校を卒業後、常葉菊川高校(現・常葉大菊川)に進学します。

高校2年生の秋から捕手でレギュラーになり、春のセンバツで優勝し、続く夏の甲子園でベスト4に入りました。

優勝したセンバツでは、横浜DeNAベイスターズの田中健二郎選手とバッテリーを組み、打者としては勝負強く、守っては強気なリードで活躍し、チームを優勝に導きました。

準々決勝の大阪桐蔭戦では、当時超高校級で今でも日本代表する強打者・中田翔選手に対して、徹底的な内角攻めで「3打数・無安打」に抑え注目されました。

ちなみに高校通算15本塁打を放っています。

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石岡諒哉監督の社会人野球時代

石岡諒哉監督は高校卒業後、社会人野球の名門である新日本石油ENEOS(現・ENEOS)へ入社しました。

2008年(19歳)の時に都市対抗野球大会でチームは優勝しましたが、在籍した4年間はほぼブルペン捕手でした。

その後、試合に出場することを求め、新日鉄住金東海REX(現・日本製鉄東海REX)に移籍しましたが、後述のイップスや怪我のため代打やDHでの出場がほとんどでした。

石岡諒哉監督はイップスに苦しんでいた

石岡諒哉監督は肩の強さトップクラスでしたが、ワンランク上の社会人野球は盗塁を阻止するために、ベース上への完璧な送球が求められるそうです。

そういう思いで送球を続けていたら、イップスになってしまい、さらに送球練習を繰り返すことによって肩を壊してしまいます。

自信のあった強肩が失われ、グランドに入るのも怖くなり、精神的にボロボロになった経験があるそうです。

石岡監督は社会人時代の7年間は、とても苦しかったと語っています。

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石岡諒哉監督の指導方法

石岡諒哉監は、2017年から母校である常葉菊川高校(現・常葉大菊川)の事務職員として勤務し、野球部のコーチに就任します。

その後、2020年3月17日の30歳の時に監督に昇格しました。

石岡諒哉監は、社会人時代に経験した7年間を指導のベースにして、成功体験よりも苦しかった経験を選手に伝えています。

技術力の前に一流のENEOSで経験した、野球に取り組む姿勢野球人としてふさわしい人間になるために礼儀や言葉遣いを一番に教えているそうです。

また、監督就任が決まった時には「誰でもできることができなければ技術の向上はあり得ません」と語っており、基本を大事にしていることがわかります。

そして、常葉大菊川の持ち味である、フルスイングや隙をついた積極果敢な走塁だけでなく、全ての部分で厳しさを追い求めた野球で、新たな伝統を築くと語っていました。

引用元:スポニチ高校野球2023公式Twitterより引用
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石岡諒哉監督の結婚、嫁、子供について

石岡諒哉監は、結婚されており、第一子の長男がいらっしゃいます。

さらに奥様とお子様の情報を詳しく調べてみましたが、上記の情報以外はありませんでした。

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石岡諒哉監督のまとめ

石岡諒哉監督のプロフィールや経歴、指導方法など、色々と調べてみました。
生徒にとって、栄光と挫折を経験している石岡諒哉監督の指導は、野球だけでなくこれからの人生で役立っていくと思います。
ぜひ、監督でも甲子園制覇を果たしてほしいですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。

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