『舞い上がれ!』の朝ドラ短歌で話題の歌人でエッセイスト・俵万智(たわらまち)さん。
俵万智さんは、歌集「サラダ記念日」が大ベストセラーとなり、昭和の短歌ブームの火付け役となった、日本を代表する歌人です。
そこで、俵万智さんのプロフィールや生い立ち、学歴、結婚と息子さんについて、色々と調べてみました。
俵万智 プロフィール 年齢、出身地、父親
名前:俵 万智(たわら まち)…本名も同じ
生年月日:1962年
出身地:大阪府北河内郡門真町(現在:門真市)
職業:歌人、エッセイスト
所属事務所:東京コンサーツ
俵万智さんは、1962年12月31日に大阪府北河内郡門真町(現在:門真市)に生まれです。
父親は俵好夫(よしお)さんで、物理学者・希土類磁石の研究者です。
俵万智の生い立ち
俵万智の幼少期
母親が本が大好きだったため、幼少期にはよく絵本を読み聞かせてもらいます。
また、4歳まで大阪府北河内郡門真町(現在:門真市)で育ち、四条畷市へ引っ越されています。
俵万智の小学校時代
俵万智さんの出身小学校は、大阪府四条畷市にある小学校です。
小学校時代も、近所に子供向けの本を読ませてくれる方がいて、そこによく行っていました。
この頃から、文学に慣れ親しんでおり、歌人になるベースが自然につくられたようです。
中学校時代に英検3級を取得
俵万智さんは小学校を卒業後は四条畷市の学校へ進学しましたが、中学2年生の夏に、大阪府から福井県武生市に引っ越しました。
転校先の中学校は、福井県武生市にある学校です。
俵さんは英語も得意で、中学1年生の時に英検3級を取得しています。
高校時代
俵万智さんは中学校を卒業後、福井県福井市にある高校へ進学します。
この高校は偏差値が71もあり、福井県内で学力1位の超優秀な進学校です。
俵さんは、とても頭が良い生徒だったことがわかりますね。
高校時代は演劇部に所属し、戯曲に夢中になっていました。
高校3年生になると「早稲田大学第一文学部」へ推薦で進学することを決めました。
俵万智は早稲田大学時代、アナウンス研究会へ入会
俵万智さんは先述の通り「早稲田大学第一文学部」へ進学します。
大学時代は「美しい日本語を研究するサークル」というキャッチフレーズに魅力を感じ、アナウンス研究会に入会しました。
俵さんはアナウンス研究会で基本的な発声練習や朗読、ラジオドラマをつくる経験をされており、後の短歌づくりに役立ったと話しています。
ちなみに、フジテレビのアナウンサー・軽部真一さんは、この研究会の同期だったそうです。
そして、在学中に「心の花」を主宰している佐佐木幸綱(ささきゆきつな)先生の「日本文学概論」という講義に参加して短歌と出会い、俵さんは歌人として活躍していきます。
俵万智は国語教師から歌人へ
俵万智さんは大学を卒業後、1985年から1989年まで、神奈川県相模原市にある高校で、国語教師をされていました。
国語教師をされながら短歌を書き、その新しい感性が注目され、歌壇を騒がせる存在へとなっていきます。
そして、1987年に出版された『サラダ記念日』が280万部の大ベストセラーとなりました。
その後、1989年に教師を辞めて、歌人として生きていくことを決断しました。
息子について
俵万智さんは2003年に、息子さんを出産されました。
宮崎県宮崎市へ移住
俵万智さんの2006年から宮城県仙台市に住んで、ご両親と子育てをしていました。
しかし、2011年3月11日に起きた東日本大震災後の発生を受け、沖縄県石垣島に移住します。
その後、2016年4月から息子さんと一緒に、宮崎県宮崎市に移住しました。
2020年3月には、宮崎県の「全国障害者芸術・文化祭」の広報アンバサダー(大使)に就任しています。
まとめ
俵万智さんのプロフィールや生い立ち、学歴、息子さんについて、まとめました。
歌人・エッセイストとして活躍しながら、息子さんを立派に育てるのは、そんな簡単にできることではありません。とても尊敬します。
これからも、素晴らしい作品を披露していただき、多くの人の心を和ませて欲しいですね。