名バイプレイヤーとして、ドラマや映画に引っ張りだこの俳優・光石研さん。
テレビで見ない日はないくらい、多くの作品に出演し素晴らしい演技を披露しています。
そんな、光石研さんはブレイクすまで不遇の時期もあったそうです。
そこで、光石研さんのプロフィールと経歴、父親・母親と生い立ち、学歴をまとめました。
光石研 プロフィール 年齢、出身地、身長
名前:光石 研(みついし けん)
生年月日:1961年9月26日
年齢:61歳(2023年5月時点)
出身地:福岡県北九州市八幡西区黒崎
居住地:東京都
身長:173cm
血液型:A型
事務所:鈍牛倶楽部
光石研さん公式インスタグラムより引用
光石研の父親と母親、実家について
光石研さんは、1961年9月26日に福岡県八幡市(現在:福岡県北九州市八幡西区黒崎)で生まれ、年齢は61歳です(2023年5月時点)。
家族は、父親、母親、光石さんの3人家族で1人っ子として育ちました。
父親は韓国ソウルで生まれ、第二次世界大戦終戦後、日本に戻ってきました。
母親は生まれも育ちも、福岡県八幡市(現在:福岡県北九州市八幡西区黒崎)です。
光石さんが生まれ育った黒崎は、かつて筑豊炭田があり石炭で栄えた繁華街で、当時とても活気がありました。
黒崎で育ったことで「子供ながらに見ていた黒崎の様々な人々の様子が現在の自分の演技に繋がっているのかも」と話しています。
ご両親は光石さんが幼少期の時に、喫茶店を経営されていたそうです。
光石研の小学校と中学時代
光石研さんの出身小学校は、地元の公立「八幡市立黒崎小学校」です。
※現在:北九州市立黒崎中央小学校
出身中学校も地元の公立「八幡市立黒崎中学校」です。
※現在:北九州市立黒崎中学校
少年時代は、ザ・ドリフターズのギャグのものまねをして、クラスメイトを笑わせていたそうです。
中学時代は部活に入らず、どちらかというと体育系でなく文科系でした。
また、クラス対抗演劇大会で光石さんは、全編で北九州弁で演技すること提案し、その舞台でとても受けたそうです。
この頃から、役を演じることの楽しさを知ったのではないでしょうか。
光石研は高校時代に役者デビュー
光石研さんの出身高校は、福岡県宗像市にある私立の共学「東海大学付属第五高校」です。
※現在:東海大学付属福岡高校
光石さんは高校1年生の時に友人に誘われ、映画『博多っ子純情』のエキストラオーディションに参加しました。
そこで、エキストラ役でなく、いきなり主役の郷六平役に抜擢されたのです。
光石さんは、この作品に出演したことをきっかけに、俳優の道を目指すことを決意しました。
光石研は大学へ進学せずに上京
光石研さんは高校を卒業後は大学へ進学せず、上京して本格的に芸能活動をスタートしました。
上京してデビュー作『博多っ子純情』でお世話なったプロデューサーと会います。
そこで、俳優になるために上京することを伝えると、運よく撮影中だった映画『男はつらいよ』シリーズの作品で、エキストラ役で起用してもらいました。
そして、その演技を観た業界人から連絡が入り、現在の事務所「鈍牛倶楽部」を紹介されて所属します。
ちなみに現在鈍牛倶楽部には、小林稔二さん、オダギリジョーさん、田中哲司さんなど、大物俳優が所属しています。
光石研は不遇の時代を経験
光石研さんは30歳を過ぎてから仕事が減ってしまい、「どんな仕事でもやります」と何年か自ら営業する日々が続きます。
当時日本はバブルが崩壊した時期で、映画業界も作品に制作費をかけられなかったことも要因にあります。
しかし、青山真治監督や岩井俊二監督など、新進気鋭の若手監督が斬新な映画を撮るようになった時期で、彼らの映画作品に出演したことで、光石さんは俳優としてレベルアップしていきます。
そして、光石さんの演技力が映画関係者に注目され、だんだんと仕事が増えていくようになりました。
それ以降は、名バイプレイヤーとして毎年切れ間なく、多くのテレビドラマ、映画に出演しています。
光石研さん公式インスタグラムより引用
まとめ
光石研さんのプロフィールと経歴、父親・母親と生い立ち、学歴をまとめました。
光石研さんの演技はとても素晴らしいですが、不遇の時期を乗り越えてきたからこそ、味のある演技ができると思います。
これからも、光石研さんが出演している作品に注目していきたいと思います。