熊本国府高校野球部が、2023年 秋季熊本県大会、続く九州大会で優勝し、春夏通じて初の甲子園出場をほぼ確実にしました。
チームを率いるのは弱冠30歳の山田祐揮監督で、就任してわずか3年目にチームを甲子園に導いたのです。
その栄光の裏には、チームと山田祐揮監督をずっと支えてくれた恩師の力があったそうです。
そこで、山田祐揮監督のプロフィール、高校・大学時代、コーチ時代の経歴、恩師についてまとめてみました。
山田祐揮監督 プロフィール 出身・年齢
名前:山田 祐揮(やまだゆうき)
出身地:熊本県
生年月日:1992年か1993年生まれ
年齢:30歳(2023年11月時点)
山田祐揮監督の高校は「熊本工業」
山田祐揮監督の出身は熊本県で、年齢は30歳になります(2023年11月時点)。
出身の高校は、熊本県熊本市にある公立「県立熊本工業高等学校」です。
同校は熊本県の名門校で、春のセンバツ甲子園に21回、夏の甲子園に22回出場(2023年11月時点)。
夏の甲子園で準優勝3回、ベスト4に5回も入賞している超強豪校です。
山田監督は、高校2年生の夏の甲子園に出場。
高校3年生の時は、夏の甲子園・熊本県大会で準決勝まで進出しましたが、八代東高校に7対0で敗退し、残念ながら甲子園に出場していません。
山田祐揮監督は「近畿大学」へ進学
山田祐揮監督は高校を卒業後、大阪府東大阪市にある「近畿大学」に進学しました。
大学時代も野球部に所属し、マネージャーとして活躍しています。
山田祐揮監督は「日南学園高校」のコーチだった
山田祐揮監督は大学を卒業後、宮崎県日南市にある私立「日南学園高校」の野球部でコーチをされています。
同校で4年間コーチを務め、春のセンバツ・1回、夏の甲子園・2回、チームを甲子園に導いています。
ちなみに、日南学園は「2023年 宮崎県大会(秋季)」で準優勝、つづく「九州大会(秋季)」でベスト8入りを果たしています。
山田祐揮監督は「熊本国府高校」の監督へ
山田祐揮監督は日南学園高校で4年間のコーチを経験後、熊本国府高校野球部の監督に就任します。
同校野球部は2006年に創部し、就任した当初は熊本県大会でベスト8が最高成績だったそうです。
そして、就任3年目となった「2023年 熊本県大会(秋季)」で優勝。
続く「2023年 九州大会(秋季)」で初優勝を果たしました。
ちなみに、九州大会には春夏含めて5回出場し、1勝しかしていませんでしたが、山田監督は創部18年目でチームを九州王者に導いたのです。
山田祐揮監督は恩師の願いを叶える
熊本国府高校野球部が創部した2006年から、部の強化に携われていた森宏元部長が、2023年8月に84歳で亡くなられました。
森宏元部長は2023年3月まで、同校職員として勤務し、生徒のカウンセリングや野球部の選手たちの相談に乗っていたそうです。
また、山田祐揮監督が就任当初から献身的にサポートし、森宏元部長を山田監督は恩師として慕っていました。
亡き恩師がチームを勝利に導いた
熊本国府高校は「2023年 九州大会(秋季)」で初優勝を果たしましたが、準々決勝・大分舞鶴で苦戦しています。
試合中に選手たちは「森先生が見てくれている」と声を掛け合っていたそうです。
試合は大接戦となり、5対5のままタイブレークへ。
10回表に1点を奪われ5対6とリードを許してしまいます。
しかし、その裏ノーアウト満塁のチャンスをつくり、岡本悠生選手が劇的なサヨナラ2点タイムリーヒットを放ったのです。
試合後、山田監督は目に涙を浮かべながら、新聞の取材で以下のように話していました。
山田監督は「森先生の思いが子どもたちに伝わって、諦めずに前を向いてくれた。最後のサヨナラも上から見てくれてたんじゃないかな」と涙目で空を見上げた。
2023年11月1日 日刊スポーツより引用
恩師・森宏元部長は生前「甲子園に行って欲しい」と願っていました。
熊本国府高校野球部の選手、そして山田監督は、チーム一丸となって森宏元部長の願いを叶えたのです。
まとめ
山田祐揮監督のプロフィール、高校・大学時代、コーチ時代の経歴、恩師についてまとめてみました。
「2024年春のセンバツ甲子園」でもナイスプレーを披露していただき、多くの高校野球ファン、そして森宏元部長に感動を与えて欲しいですね。
これからも、熊本国府高校野球部、山田祐揮監督の采配に注目していきたいと思います。