七夕の起源とは?今と昔の願い事の違い

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七夕は日本の五節句のひとつです。
短冊(たんざく)に願いごとを書いて、笹の葉に吊るす習わしでおなじみです。
子供のころ、毎年どんな願い事を書くか悩んだことを思い出します。

現代では、どんな願い事を何でも書いてもいい、という風潮となっていますが、
七夕が広がるようになった江戸時代は、実は「習い事の上達」が主に願われていました。

江戸時代と現代の願い事の違いがあるのには理由があるみたいです。
そこで元々の七夕の起源に迫ってみたいと思います。

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七夕は中国が発祥

七夕は、約1800年前の中国後漢時代の書物「古詩十九首(こしじゅうきゅうしゅ)」に記されていることが起源となり、日本に伝わってきたは、その500年後でした。

織姫と彦星の伝説が七夕の元に

「天の川を隔てて離れ離れになった、織姫と彦星が年に一度だけ再開できる日」
ということが広く一般に知られ、これは中国から伝わってきました。

7月7日の夜にひときわ強く輝く星「琴座のベガ(織姫)」と「わし座のアルタイル(彦星)」を題材にした伝説が七夕の元となっています。

「ベガは裁縫の仕事を司る織女(しょくじょ)の星」
「アルタイルは農業を司る牽牛(けんぎゅう)の星」

それぞれの星の意味が表すとおり、二人はとても仕事熱心でした。
その二人を天帝が引き合わせて結婚させたのですが、二人は恋愛に夢中になってしまい、
仕事をおろそかにするようになってしまい、これに激怒した天帝は、天の川を境に二人を引き裂いてしまったのです。
しかし、二人が深く悲しんでいるのを見て天帝は不憫に思い、年に一度だけ再会できる日をつくったというのが、織姫と彦星の伝説になります。

そもそもは「夜空にひときわ強く輝く2つの星のお話」というだけだったのに、それが現代まで伝えられています。

七夕は夜空に輝く星の輝きに、人々が神秘を感じたことからきています。

織女の星に裁縫技術の上達を祈る行事「乞巧奠(きこうでん)」

前述の通り、織姫をあらわす琴座のベガは裁縫を司る星で、中国ではこれにちなんで裁縫技術の上達を祈る「乞巧奠(きこうでん)」という行事があります。
乞巧奠は、いろんな色の糸を針にとおし、庭先に捧げものをして織女の星に祈るという習わしです。
それが時代流れるにつれて、女性が素養とすることが増えてきたのもあり、裁縫や機織だけでなく、書道や芸事など幅広い願い事をするようになっていきました。

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七夕は日本へ奈良時代に伝わった

七夕が日本に伝わったのは奈良時代(西暦700年代)で、当時遣唐使によって中国の文化を取り入れるようになり、その流れで七夕も伝わってきたものと思われます。

最初は皇族の宮中行事だった

この時代の七夕は皇族の宮中行事で、一般には知られていませんでした。
現代とはその習わしも違っていて、野菜や果物、魚などをお供えする、音楽を奏でて詩を読むということが行われていました。
その中に、現代の短冊に願い事を書く風習につながるものがあり、短冊ではなく「樫の葉」に和歌をしたため願い事をしていました。
樫の木は古代から神聖の木とされ、葉の裏には細かい毛が生えていて、墨が染み込みやすかったからとされています。
また、墨は芋の葉にたまった夜露を混ぜて使われていて、この夜露が「天の川のしずく」といわえれていたのです。
昔の中国人が星の輝きから織姫と彦星の伝説を考えたように、日本人も自然の現象に不思議な神秘性を感じていたのです。

江戸時代になって庶民に広まった

江戸時代は経済発展が目まぐるしく、生き抜くには商売を繁盛させることが重要で、習い事の上達が商売につながっていました。
そんな背景もあり、日本の七夕も中国と同様に「習い事の上達」を願う日として庶民に広まりました。
このころから、笹の葉に短冊を吊るすという現代の形になったのです。

なぜ笹の葉に短冊を吊るすのか?

日本で古くから、笹は生命力が強く不思議な力を持っていると思われていたので、笹の葉に短冊を吊るすようになったといわれ、短冊の色は「緑、赤、黄、白、黒」の五色とされています。
その理由は、中国は昔から「木、火、土、金、水」の五つが自然や社会を司るという言い伝えからくるもので、短冊の色はこの五つの要素を表したものです。
ちなみに中国は短冊ではなく、それぞれ五色の糸を吊るす習わしがあります。

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七夕はなぜ「たなばた」と読むのか?

七と夕を組み合わせて「たなばた」と読むのは不思議ですよね。
実は日本では、古くから行われていた「棚機(たなばた)」という、神様に秋の豊作や人々の汚れを洗い流すことを祈るため、乙女が着物を織り棚に備えるという習わしがありました。

そして遣唐使により仏教が日本に広まると「棚機(たなばた)」がお盆の準備となり、7月7日の夜に行われるようなりました。

その流れで、7月7日の夜という日付と時刻を、そのまま漢字に表し「七夕」となり、読み方は「棚機(たなばた)」を受け継いだということです。

「棚機(たなばた)」は乙女が着物を織る行事ですが、そこに中国の「裁縫の仕事を司る織女(しょくじょ)の星」を祈るという行事が、共鳴し組み合わさって1つの行事になったのです。

日本の「棚機(たなばた)」と中国の「七夕」の時期が重なっていたのも、偶然でよくできた話です。

国や時代が変わったとしても、人は自然の神秘的で偉大な力に寄り添って生きてきたのです。

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