アフロヘアがトレードマークで、節電生活をされて話題になっている稲垣えみこさん。
稲垣えみ子さんは、朝日新聞で論説委員をされていた超優秀なフリージャーナリストです。
そこで、稲垣えみ子さんのプロフィール、経歴・学歴、家族(父親・母親・姉)、結婚、アフロヘアにした理由など、まとめてみました。
稲垣えみ子 プロフィール 年齢、出身地
名前:稲垣 えみ子
出身地:愛知県
趣味:山登り、日本酒が好き
職業:フリージャーナリスト
稲垣えみ子の家族(父親・母親・姉)
稲垣えみ子さんの家族構成は「父親・母親・姉・稲垣えみ子さん」の4人家族です。
稲垣えみ子の結婚、子供について
稲垣えみ子さんの結婚や子供に関する情報は公開されていません。
2018年、家電のない生活についてのインタビューでは、以下のように話しています。
確かに今みたいな極端な実験みたいな生活ができるのは、完全に私が独身だから。こうしようと思ったことは、すぐにできるじゃないですか。家族がいたりすると「冷蔵庫を使わない」って宣言した瞬間に、そりゃあ大もめですよ(笑)。うちの家族にも「あんたは独身だからできるのよ」ってよく言われます。
引用元:2018年2月15日 SMILE SUMAI
稲垣えみ子の大学
稲垣えみ子さんが卒業した小学校、中学校、高校は、公表されていません。
出身大学は、東京都国立市にある「一橋大学社会学部」です。
この大学は偏差値が67.5もあり、稲垣さんが超優秀な学生だったことがわかります。
稲垣えみ子の経歴(朝日新聞社時代)
稲垣えみ子さんは、1987年に一橋大学を卒業後「朝日新聞社」に入社しました。
入社後は、高松支局、京都市局、朝日新聞大阪本社社会部、週刊朝日編集部で勤務しています。
そして、東日本大震災後から″超節電生活″を始め、トレードマークのアフロヘア写真を交えたコラムが評判となりました。
この超節電生活に感銘を受けた『報道ステーション』キャスター・古舘伊知郎さんからオファーを受け、同番組に3回も出演しています。
2013年から朝日新聞の論説員として社説を担当していました。
その後、2016年1月、50歳の時に朝日新聞社を早期退職します。
早期退職したきっかけは、死に向かい「手放すことを身に着けねば」と思い、高級マンションから築50年のワンルームマンションに引っ越したそうです。
現在は、フリージャーナリストとして活躍しています。
稲垣えみ子がアフロにした理由は?
稲垣えみ子さんは、アフロヘアがトレードマークになっています。
アフロヘアにしたきっかけは、2005年頃、朝日新聞大阪本社社会部に勤務していた時に参加した、大阪府警察本部との懇親会でした。
そこで、カツラをかぶってカラオケをすることになり、その時にアフロヘアのカツラをかぶって歌ったところ、とても似合っていると高評価を得たそうです。
その後、10年経って突然アフロヘアが自分に似合っていたことを思い出し、アフロヘアにしました。
ちなみに、親しい担当の美容師さんは社会的に常識のある人で、一流企業の社会人である稲垣さんがアフロヘアになることを反対しています。
それでも、稲垣さんは5年以上もかけて説得し、なんとかアフロヘアにすることができたそうです。
稲垣えみ子の本
稲垣えみ子さんは多くの本を出版しており、2017年9月7日に出版された『もうレシピ本はいらない : 人生を救う最強の食卓』(マガジンハウス)が「料理レシピ本大賞 in Japan エッセイ賞」を受賞しています。
『稲垣えみ子さんの本』
年月 | 著書 |
1995年9月 | 『死に方が知りたくて』PARCO出版 |
1995年5月 | 『震災の朝から始まった』朝日新聞社 |
2016年6月9日 | 『魂の退社』東洋経済新報社 |
2016年6月20日 | 『アフロ記者が記者として書いてきたこと。退職したからこそ書けたこと。』朝日新聞出版 |
2017年6月16日 | 『寂しい生活』東洋経済新報社 |
2017年9月7日 | 『もうレシピ本はいらない : 人生を救う最強の食卓』マガジンハウス |
2018年10月11日 | 『アフロえみ子の四季の食卓 : レシピがいらない!』マガジンハウス |
2018年10月26日 | 『人生はどこでもドア : リヨンの14日間』東洋経済新報社 |
2019年12月6日 | 『アフロ記者』朝日文庫 |
2021年9月11日 | 『一人飲みで生きていく』朝日出版社 |
2022年1月19日 | 『老後とピアノ』ポプラ社 |
まとめ
稲垣えみ子さんのプロフィール、経歴・学歴、家族(父親・母親・姉)、結婚、アフロヘアにした理由など、まとめてみました。
これからも、稲垣えみ子さんの生き方に注目していきたいと思います。