「2023年 夏の甲子園」で小菅勲監督が率いる土浦日大高校が、圧倒的な強さを披露しています。
小菅勲監督は、高校野球の一時代を築いた名将・木内幸男監督の教え子で、取手二高時代に夏の甲子園で優勝しています。
そこで、小菅勲監督のプロフィール、年齢、出身地、経歴、学歴をまとめてみました。
小菅勲 プロフィール 年齢・出身地
名前:小菅 勲(こすげ いさお)
生年月日:1966年生まれ
年齢:57歳(2023年8月時点)
出身地:茨城県水海道市(現在・常総市)
小菅勲の恩師は「名将・木内幸男監督」
小菅勲監督の出身地は、茨城県水海道市(現在・常総市)です。
常総市は茨城県の南西部にある市で、縦に鬼怒川が流れています。
この地で小学校から野球を始めました。
出身校の高校は、茨城県取手市にある「県立取手第二高校」です。
当時、取手二高は「名将・木内幸男監督(故人)」が率いていた、高校野球の超強豪校でした。
木内幸男監督は、取手二高で春のセンバツ優勝。
常総学院高校で春のセンバツ、夏の甲子園優勝に導いた、高校野球ファンなら誰でも知っている凄い名監督です。
小菅勲は「桑田真澄・清原和博」のPL学園を倒す
小菅勲監督は、取手二高時代「1984年 夏の甲子園」に9番・サードで出場し、チームの優勝に大きく貢献しています。
決勝は、桑田真澄さん、清原和博さんのKKコンビ率いる常勝軍団・PL学園高校でした。
この決勝は大接戦となり延長戦にもつれ込みます。
そして、同点で迎えた延長10回に取手二高・中島彰一(現在・野球指導者)さんが3ランホームランを放ち、劇的な勝利を収めました。
ちなみに、桑田真澄さん、清原和博さんが出場した3年間の甲子園で、唯一の敗戦が取手二高だったそうです。
小菅勲は法政大学を卒業後、町役場へ就職
小菅勲監督は取手二高を卒業後、法政大学へ進学し野球を続けています。
大学卒業後は「本気の野球は、もういい」と思い、地元・茨城県の伊奈町(現在:つくばみらい市)に就職し、町役場の職員として働いていました。
就職した当初、小菅監督は野球への情熱は薄らいでいましたが、役場のソフトボール大会に参加したのがきっかけで、再び野球への情熱が再燃します。
小菅勲監督は県立高校の教員へ
野球への情熱が再燃した小菅勲監督は、常総学院高校に就任した恩師・木内幸男監督から声が掛かり、町役場を退職して同校のコーチになりました。
そして、高校野球の指導者を目指し、コーチを務めながら教員免許を取得します。
小菅勲監督「県立伊奈高校」時代
小菅勲監督は、1993年に「茨城県立伊奈高校」に赴任し、野球部の監督へ。
赴任してから3年目に「夏の甲子園・茨城県予選」で、伊奈高校を準優勝に導いています。
決勝戦は、水戸短大付属高校(現在:水戸啓明高校)と対戦し、1対2で惜しくも甲子園出場を逃しました。
小菅勲監督は「下妻第二高校」時代に甲子園へ
小菅勲監督は、2000年に「茨城県立下妻第二高校」に赴任し、野球部の監督へ。
そして「2004年 夏の甲子園・茨城県予選」を制し、監督となって初めての甲子園出場を決めました。
決勝戦は、恩師・木内幸男監督が勤めた常総学院高校と対戦。
チームは序盤、相手の投手陣を打ち崩すことができませんでしたが、4回に逆転して流れを引き寄せ、8対2の勝利を収めました。
試合後、小菅監督は「いずれ木内野球を継承するのは私だと思っています」と話しています。
また「2009年 春のセンバツ」にも、チームを甲子園に導いています。
小菅勲監督は「土浦日大高校」でも甲子園へ
小菅勲監督は、2016年から茨城県土浦市にある「土浦日大高校」の監督に就任しました。
そして、就任2年目で「2017年 夏の甲子園・茨城県予選」を制し、31年ぶり3度目となる甲子園出場。
翌年の「2018年 春のセンバツ」にも出場し、2季連続で土浦日大高校を甲子園に導いています。
小菅勲は「2023年 夏の甲子園」で大ブレイク
土浦日大高校「2023年 夏の甲子園・茨城県予選」を制し、5年振り5回目となる甲子園出場を決めました。
そして、小菅勲監督は「2023年 夏の甲子園」で大ブレイクします。
1回戦で上田西高校戦を8対3で破り、監督として念願の甲子園初勝利を飾りました。
さらに勢いは止まらず、2回戦で九州国際大付高校を3対0、専大松戸高校を10対6、八戸学院光星高校を9対2で撃破。
小菅監督は、甲子園初勝利から一気にベスト4に勝ち上がっています。
まとめ
小菅勲監督のプロフィール、年齢、出身地、経歴、学歴をまとめてみました。
これから、土浦日大高校を常勝軍団にしていただき、恩師・木内幸男監督を超えるくらい頑張って欲しいですね。
今後も、小菅勲監督のキレキレの采配に注目していきたいと思います。