バスケットボール女子の日本代表選手で、超オシャレで可愛いと注目されているオコエ桃仁花(もにか)選手。
東京オリンピックでは、日本史上初となる銀メダル獲得に大きく貢献しました。
しかし、オコエ桃仁花選手は小学校時代、バスケットボールにあまり興味がなかったようです。
そこで、オコエ桃仁花選手のプロフィール、学歴(小学校・中学・高校時代)、病気、経歴をまとめてみました。
オコエ桃仁花 wikiプロフィール 年齢・国籍・身長
オコエ桃仁花選手は、1999年2月7日に東京都東村山市に生まれ、年齢は24歳です(2023年10月時点)。
身長は182cmです。
ちなみに、オコエ選手の家族(父親・母親・兄)の情報は、以下の記事で詳しく掲載しています。
名前:オコエ 桃仁花
読み方:オコエ もにか
ニックネーム:モニカ
生年月日:1999年2月7日
年齢:24歳(2023年10月時点)
出身地:東京都東村山市
国籍:日本
身長:182cm
体重:85kg
血液型:O型
ポジション:センターフォワード
マネジメント事務所:株式会社Athlete Solution
オコエ桃仁花選手公式インスタグラムより引用
オコエ桃仁花の小学校時代はフラダンスに熱中
オコエ桃仁花はディズニーアニメの「リロ」になりたかった
オコエ桃仁花選手の出身小学校は「東村山市立秋津東小学校」です。
オコエ選手は小学校時代、ディズニーアニメ『リロ&ステッチ』のリロになりたいと思っていて、フラダンス教室に通っていました。
オコエ桃仁花がバスケを始めたキッカケ
オコエ桃仁花選手は小学校時代に、バスケットボールの大会で人数が足りなくて、助っ人で初めて試合に出場します。
この大会でいきなり大活躍し、MVPを獲得してしまいます。
ただ、オコエ選手は大会終了後もフラダンスを続けるつもりでした。
しかし、母親からバスケットボールとの両立は難しいといわれ、迷わずフラダンスを続けると答えます。
そして翌日母親が、なぜか翌日フラダンス教室に連絡し、やめることを伝えてしましました。
それがきっかけで、オコエ選手は小学校6年生から「秋津東ミニバスケットボールクラブ」でバスケを始めたのです。
オコエ桃仁花 中学・高校時代の経歴
オコエ桃仁花選手の出身中学校は「東村山市立東村山第六中学校」です。
中学時代に全国大会に出場しています。
そして、中学時代の活躍が高く評価され、東京都三鷹市にあるバスケットボールの強豪校「明星学園高校」から声が掛かり進学しました。
高校2年生の時に「インターハイ」でチームの3位入賞に貢献。
また「U-17」の日本代表選手に選ばれ「世界選手権」に出場しました。
オコエ桃仁花 バスケットボールの経歴
オコエ桃仁花選手は高校を卒業後、2017年、愛知県刈谷市にあるWリーグチーム「デンソーアイリス」に入団しました。
2018年、国際強化試合・チャイニーズタイペイ戦で、女子日本代表デビューを果たします。
2019年、神奈川県川崎市にある「富士通レッドウェーブ」へ移籍。
2021年、「東京オリンピック」で日本史上初の銀メダル獲得に大きく貢献しました。
2021年、「FIBA女子アジアカップ」でも優勝しています。
現在、オコエ桃仁花は海外で活躍
オコエ桃仁花選手は、2022年9月末、富士通レッドウェーブを退団します。
そして、さらに自分の実力を高めるために、ギリシアリーグ「エレフテリア・モシャトウ」へ移籍しました。
その後、2023年3月30日、エレフテリア・モシャトウを退団。
現在は、オーストラリア・WBNL1リーグ「ジーロング・スーパーキャッツ」でプレーしています。
オコエ桃仁花選手公式インスタグラムより引用
オコエ桃仁花は難病からの復活劇が凄い
先述のとおり、オコエ桃仁花選手は女子日本代表として大活躍しています。
2019年5月には、女子日本代表の強化合宿に参加していました。
その合宿中に全体練習を終えた時に、立っていられないほどの激痛に襲われてしまいます。
その原因は、国内で数10件しか例のない腹部の病気「白線ヘルニア」で、病院を4件も回ってやっと手術することができました。
当初、病院の先生からは「復帰まで半年はかかる」といわれています。
しかし、オコエ選手は当時所属していた富士通レッドウェーブのテーブス監督と、1対1で集中的にトレーニング・練習に励みます。
その努力が実り、なんと約1か月で回復し、7月には女子日本代表に合流しました。
まとめ
オコエ桃仁花選手のプロフィール、学歴(小学校・中学・高校時代)、病気、経歴をまとめてみました。
ぜひ、バスケットボール女子日本代表をパリオリンピックに導いていただき、またメダルを獲得して欲しいですね。
これからも、オコエ桃仁花選手のパフォーマンスに注目していきたいと思います。