岡野雅行(野人)は100m走もお酒伝説も凄い!現在、妻と子供、高校と大学、現役時代を調査!

サッカー
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『人志松本の酒のツマミになる話』に日本を初めてサッカーワールドカップに導いた伝説の男・岡野雅行が出演し、お酒のつまみになる話を披露しました。
現役を引退した岡野雅行は、現在ガイナーレ鳥取の代表取締役GMとして活躍中です。
今回は、岡野雅行のプロフィール、エピソードなど調査してみました。

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岡野雅行のプロフィール、年齢、小学校、中学校、高校など

岡野雅行(おかのまさゆき)さんは、1972年7月25日に神奈川県横浜市に生まれ、年齢は50歳です。

ちなみに、祖父は書家で文化功労者である手島右卿(てじまゆうけい)さんです。

岡野雅行の小学校と中学校

出身小学校は地元横浜市の学校で、中学も地元の学校を卒業しました。

岡野雅行の高校時代

岡野雅行さんは中学卒業後、サッカー留学にブラジルへ行くことを両親にお願いするが反対されてしまいました。

そして親戚の勧めで、島根県松江市にある全寮制の学校『松江日本大学高等学校』(現在・立正大学淞南高等学校)へ進学しました。

当時この高校はサッカー部はなかったが、岡野さんの力でサッカー部を創設し、最高で島根県3位になるチームに築き上げました。

岡野雅行 プロフィール

名前:岡野 雅行(おかの まさゆき)
生年月日:1972年7月25日
年齢:50歳(2022年11月時点)
出身地:神奈川県横浜市
身長:175cm
体重:71㎏
ポジション:MF、FW
利き足:右足

引用元:CROSSOVER~クロスオーバー~公式Twitterより引用
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岡野雅行の大学時代のエピソード

岡野雅行さんはスポーツ推薦で『日本大学』へ進学し、当時2部リーグであったサッカー部に入部しました。

入部したての1年時の天皇杯予選で、コーチである長島裕明さんに見いだされたことがきっかで、実力を発揮するようになり頭角を現します。

岡野雅行の100m走が凄かった

入部当初は、前線へボールをパスするミッドフィルダー的なプレースタイルでした。

しかし、ある日陸上部の選手とトレーニングをした時に、走りずらそうなゴッツいバスケットシューズを履いて、100mを10秒7という記録を叩き出し、陸上選手を上回ってしまったのです。

それ以降、速い足を活かしたプレースタイルに変更することになりました。

岡野雅行はお酒を飲んだ翌日も凄かった

大学時代は居酒屋でバイトをしながら、サッカーをしていました。

1993年の天皇杯関東大会の対筑波大学戦の前日に、試合があること忘れて朝まで飲んでいたにもかかわらず、試合に出場したそうです。

しかし、ほとんどお酒を飲んで出場したにもかかわらず、強豪筑波大学の選手を5人抜きのゴールを含む2得点を奪い、チームを勝利に導きました。

これをきっかけに岡野さんの注目度が上がり、Jリーグからも声がかかるようになるのです。

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岡野雅行は『浦和レッズ』へ

岡野雅行さんは大学在学中に、鹿島アントラーズ、柏レイソル、浦和レッズ、ガンバ大阪から声がかかりました。

その中でも浦和レッズから「大学を辞めてでも来てくれ」と熱意のあるオファーを受け、岡野さんは大学3年時に中退して1994年に浦和レッズへ入団しました。

その期待に応え、1年目からJリーグで35試合に出場し3ゴールを奪う活躍を見せます。

1996年にはPKを任されるようになり、キャルアハイとなる11ゴールを奪い、Jリーグベストイレブン、また同年から新設されたJリーグフェアプレー個人賞を受賞しました。

2001年9月からヴィッセル神戸に期限付き移籍し、2002年12月に完全移籍します。

2004年には浦和レッズに完全移籍し、2007年元日の天皇杯決勝では途中出場をし、永井雄一郎選手の決勝点をアシストし、浦和レッズの天皇杯連覇へ貢献しました。

2008年に浦和レッズが選手の若返りをすることになり、同年11月26日に契約終了が発表され、長年在籍した浦和レッズを離れることになりました。

2009年2月に香港リーグ1部のTSWペガサスに移籍したが同年6月に退団、そして同年7月31日にガイナーレ鳥取に移籍することが発表されました。

引用元:soccer_junky_official_より引用
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岡野雅行は日本代表をワールドカップへ導いた

岡野雅行さんは、1995年1月に開催された『キング・ファハド・カップ』(インターコンチネンタルカップ)から、日本代表メンバーに選出されましたが、この大会では試合出場はありませんでした。

1996年8月25日のウルグアイ代表戦で初ゴールを奪いました。

そして、1997年に『1998 FIFAワールドカップ・アジア予選』にも代表に選ばれ、迎えた運命のアジア第3代表決定戦となる、イラン戦に延長戦から出場します。

何度かゴールキーパーと1対1になるチャンスを逃しあきらめかけていた時に、見事決勝点となるゴールを奪い、日本代表を初のワールドカップに導き、日本中が岡野さんを称え、一躍時の人となりました。

日本がワールドカップ初出場を決めた試合の場所が、マレーシアのジョホールバルだったので『ジョホールバルの歓喜』といわれ、今でも日本サッカー界の伝説として広く語り継がれています。

引用元:集英社スポルティーバ公式Twitterより引用
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岡野雅行の現在

岡野雅行さんは惜しまれながら、2013年のシーズンを最後に引退し、ガイナーレ鳥取のゼネラルマネージャーに就任しました。

2014年末には、今まで日本のサッカーに貢献してきたことが認められ、Jリーグ功労選手賞を受賞しました。

そして、2017年4月27日にガイナーレ鳥取の代表取締役GMに就任されました。

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岡野雅行の結婚、妻、子供

岡野雅行さんは現役時代に、結婚しました。

現在親子仲良く、岡野さんの仕事場の鳥取で暮らしています。

引用元:集英社スポルティーバ公式Twitterより引用
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岡野雅行が『野人』といわれた理由

岡野雅行さんは「野人」といわれていますが、その由来をバラエティ番組『有吉反省会』で自ら語っていました。

岡野さんのが、浦和レッズに入団し初めてのキャンプとなるオーストラリアへ行く時に、現地は暑いと思って「Tシャツ」「短パン」「サンダル」「リュックサック」で成田空港に行きました。

しかし、他の選手は全員ビシッとスーツを着ていたそうです。

岡野さんの姿を見て他の選手が「お前遊びに行くんじゃねえぞ」といわれた時に、先輩のゴールキーパーの土田尚史さんが一言「お前野人みたいだな」いわれたそうです。

それと、岡野さんの圧倒的にスピードを活かし、ドリブルで相手を切り裂くような、野性味あふれるプレイスタイルも合わさって、「野人」というキャッチフレーズが生まれました。

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まとめ

いかがだったでしょうか?
現役時代はゴールを奪うためのガッツあるプレイスタイルでファンを魅了しました。
今はガイナーレ鳥取の経営者として活躍していますが、高校時代に一からサッカー部を創設し、チームをけん引したことが、大変役立っているのではないでしょうか。
これからも、岡野雅行さんの活躍に期待したいと思います。
最後までご覧いただきありがとうございました。

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