ラマルギービンラタナヤケ(大阪桐蔭)の父はスリランカ人?出身や中学と小学校の野球成績は?

スポーツ
スポンサーリンク

大阪桐蔭が誇る2024年ドラフト候補ラマル・ギービン・ラタナヤケ選手。

スリランカ人の両親を持ち、中学時代に通算50本塁打、投げては最速135キロをマークした、規格外の″二刀流スラッガー″です。

そこで、ラマル・ギービン・ラタナヤケ選手プロフィール父親小学校と中学での成績など、色々と調べてみました。

スポンサーリンク

ラマル・ギービン・ラタナヤケのプロフィール 出身地、身長、体重

名前:ラマル・ギービン・ラタナヤケ
生まれ年:2006年
出身地:愛知県名古屋市港区
身長:185cm
体重:85kg
投打:右投・右打
ポジション:内野手

引用元:センバツLIVE!公式Twitterより引用
スポンサーリンク

ラマル・ギービン・ラタナヤケの父親と母親

ラマル・ギービン・ラタナヤケ選手は、生まれも育ちも愛知県名古屋市です。

ご両親はスリランカ人で、父親はバンダーラ・ラタナヤケさん、母親の情報は見つかりませんでした。

若い頃はバレーボール選手として活躍し、スリランカ代表に選ばれるくらい実力のある選手でした。

バンダーラさんは29年前に留学生として来日し、新聞販売店でアルバイトをしながら、日本語学校、大学、大学院へ進学した超優秀な方です。

新聞販売店の店主は、とても真面目に働くバンダーラさんの姿を見て、スリランカまでの飛行機代を支給してくれたこともあったそうです。

一度スリランカに帰国して結婚されましたが、ご夫婦で再来日し名古屋市で就職し、結婚生活をスタートしました。

そして、2006年に日本でラマル・ギービン・ラタナヤケ選手が生まれたのです。

スポンサーリンク

ラマル・ギービン・ラタナヤケ 名前の由来

ラマル・ギービン・ラタナヤケ選手の名前の由来ですが、
「ラマル」はスリランカの公用語であるシンハラ語で「太陽のように輝く男の子」
ミドルネームの「ギービン」「音楽を聴くのが好きな男の子」

そんな願いを込めて、ご両親は命名されてたそうです。

実際にラマル・ギービン・ラタナヤケ選手は「僕にとって音楽は大切な存在。気持ちを奮い立たせたり、落ち着かせたり。何をするにも音楽を聞いています」と話しています。

スポンサーリンク

ラマル・ギービン・ラタナヤケの小学校時代

ラマル・ギービン・ラタナヤケ選手は、友達から誘われたのがきっかけで、小学4年生から「プリンスジュニア港」というチームで野球を始めました。

なんと初打席はランニングホームランで、記念すべき第1号本塁打でした。

その後、どんどん非凡な才能を開花させ、小学6年生の時点で12本塁打を放っています。

スポンサーリンク

ラマル・ギービン・ラタナヤケの中学校時代

ラマル・ギービン・ラタナヤケ選手の出身中学校は、愛知県名古屋市港区にある「名古屋市立南陽中学校」「愛知港ボーイズ」でプレーしていました。

中学時代は「村瀬杯愛知県中央選抜」選ばれ、中学で通算50本塁打をマークしました。

当時から投手としても高い能力があり、最速135キロの直球を記録していました。

引用元:メ~テレニュース公式YouTubeチャンネルより引用
スポンサーリンク

ラマル・ギービン・ラタナヤケはドラフト1位でプロ入りを目指す

ラマル・ギービン・ラタナヤケ選手は、多くのプロ野球選手を輩出している超強豪校「大阪桐蔭高校」へ推薦入学します。

大阪桐蔭から推薦入学の打診を受けた時は、驚きと同時にとても嬉しかったそうです。

推薦入学するための筆記試験では、同世代トップクラスの選手もおり、合格したら一緒に野球ができると思うと、興奮して入試問題が頭に入らなかったが、心を落ち着かせてわかる問題からひとつずつ解いていった結果、入試から2日後に大阪桐蔭から念願の合格通知が届きました。

高校では通算70本塁打を目標に、卒業後はドラフト1位でプロ野球に入団したいと話しています。

スポンサーリンク

ラマル・ギービン・ラタナヤケのまとめ

ラマル・ギービン・ラタナヤケ選手のプロフィールや父親、小学校と中学での成績など、色々と調べてみました。
超強豪校・大阪桐蔭のメンバーになるということは、間違いなく同世代トップクラスの選手ですね。
これからも、ラマル・ギービン・ラタナヤケ選手のスケールの大きい活躍に注目していきたいと思います。

スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました